第15回 みっくみく症候群 前篇

表題の"みっくみく"とは、初音ミクに魅せられることを表す
ファンの間で用いられるスラングで、"メロメロになる"という意味合いである。
ここでは、"初音ミク"を取り巻く現象を"みっくみく症候群"と名付け述べたいと思う。
"みっくみく症候群"は"ピグマリオン症候群"を基にしている。
その意図は、 人形偏愛症(人形愛)から来るディスコミュニケーションという意味合いでは無く、
その基となったギリシャ神話"ピグマリオン"の切り口で観てみると、共通点が浮かび上がる。
ピグマリオンは、現実世界の女性に絶望し、大理石を彫刻して理想の女性の像を造りあげた。
いつからか像に話しかけるなどして、ついにこの像に恋をしてしまった。
"初音ミク"も声・容姿・性格が与えられ、メディアを通じ多くの(ファン)を魅了している
点は同じと言えるが、ライブやSNSでファンやクリエーター同士が繋がりコミュニケーション
をはかっている点は大きく違うと言える。
第14回 近未来、音楽鑑賞の歩き方 仮説篇でも述べた通り、
近未来の音楽鑑賞の概念や形は人を模したものになる可能性がある。
そのオーディオ的進化過程において、"初音ミク"の存在は最重要である。
その理由は、現代の多くの技術者やクリエーター達が2足歩行ロボットの開発の際、
"鉄腕アトム"や"ドラえもん"などを目標に現在の技術水準まで押し上げてきた。
そして"Honda ASIMO"などを輩出し、その遺伝子が社会で活躍するところまで来ている。
"初音ミク"はアトムやドラえもんと同様にクリエーターたちを導く重要な存在になるだろう。
だから、多くのクリエーターやその卵たちの心を"みっくみく"にして貰いたい。
僕が空想する未来の可能性のひとつなのだから…

第14回  近未来、音楽鑑賞の歩き方 仮説篇

近未来のオーディオ的音楽鑑賞は2種類あると考える。
1. 生鑑賞 + 収録鑑賞 = ヒューマノイド(2ch再生を基に進化)
2. 生鑑賞 + 脳内再生 = VR/仮想空間(ヘッドフォンを基に進化)
まず、ヒューマノイドでの音楽再生について述べたいと思う。
現在のオーディオ機器は、プレーヤー、アンプ、スピーカーと
各役割に特化(抽出)して1つのシステムを構成している。
しかし、ヒューマノイド型での音楽再生はこれが一元化出来る。
人間と同じように情報を処理し、人工声帯のようなものを震わせ、
胴体に空気を満たして、口腔形状を変化して音声として押し出すのである。
つまり未来のオーディオは、DATAで音声プロセスを制御し、ヒューマノイド本体
を持ってoutputするリアル1ch再生時代になるのだろう。
ピアノやヴァイオリンが聴きたければ、ヒューマノイド型に弾いてもらえるし、
人間と共にセッションも可能である。
"まるで目の前で歌っているような…"という表現は、
実際目の前でヒューマノイド型が歌っているので、死語になるかもしれない。
次に、"VR/仮想空間"での音楽再生について述べたいと思う。
トランスヒューマニズム的考え方をするのであれば、
人間の体内にオーディオ的デバイスを埋め込み仮想空間(VR)や拡張現実(AR)
にアクセスして音楽鑑賞やライブに参加する未来である。
僕たちは、どこにいてもこの環境下にアクセスできる。
脳と外部記憶装置は一体と化し、記憶領域は無限に広がるだろう。
現在モニター内において、ボーカロイドはこれを達成しているように思う。
最後に、現在のオーディオデバイスの形が本当の正解か否かは解らない。
今回述べた様な空想は、技術の進歩とニーズがあれば実現するかもしれない。
時に現実は空想を追い越すこともあるのだから…

第13回 近未来、音楽鑑賞の歩き方 定義篇

今回は、近未来のオーディオの可能性について述べたいと思う。
現在の技術で可能な音楽鑑賞の方法は3つあると考える。
"生鑑賞" "収録鑑賞" "脳内再生"で定義は下記の通りである。
・生鑑賞:演奏会など人間などが実際楽器を弾いたものを鑑賞
・収録鑑賞:過去に収録されたものをデータなど用いて機械などで鑑賞
・脳内再生:脳内の記憶領域などに保存されたものを引き出し鑑賞
近未来のオーディオでの音楽鑑賞は、各定義が"深化"するのではなく、
より密接して統合されたものになると予想する。
第14回 仮説篇では、この定義を基に、かなり飛躍した話しをしたい。

第12回 ハイド・アンド・シーク

"おんがく"は文字通りの解釈ならば、音を"楽"しむである。
しかし、私の"おんがく"は、音"愕"であって音"学"である。
作品のメッセージに"愕き"、その過程に込められた背景を"学ぶ"のである。
膨大な時間と労力、苦悩を煮詰めた"おんがく"は決して"楽しい"だけではない。
人によっては高い頂きに登る音"嶽"であり、その美しさを永遠に閉じ込めたい音"額"かも知れない。
要は、遠い昔に誰かが決めた"おんがく"という記号に、何を当てはめるかは自分次第である。
国が違えば文化・風習も違うので、音楽≠Musicで在るべきだろう。
この違いを"楽"しめば、"おんがく"は"音楽"になるだろう。
解釈を誤ると"おんがく"は"音が苦"になるかもしれないのだから…

第11回 目で聴き ⇔ 耳で観る

人間の目と耳は面白い器官である。
同じ周波数を扱いながら、目は"色"を耳は"音"を感知する。
ここで思考実験をしたいのだが、
耳で聴いた音(振動)の信号を目の器官(網膜)を通して
脳に送った場合、音が色づいて観えるのだろうか?
その逆に目で見た"色"を"音"として認識することは可能だろうか?
"何故"そんな事を考えるのかというと、
音を文法で説明する際、寒色系・暖色系と色で表現する事がある。
尖った音・丸い音など目で見た様な表現をする時もある。
僕たちは無意識に"ニュアンス"として、
"目"で音の色を識別し、"耳"で色の声を聴いているのかも知れない。
音楽を聴くときに目を瞑るのは、集中して耳からの情報量を上げるのではなく、
目を開けて聴くと、鮮やかな色合いが浮かんで集中できないからかも知れない。
21世紀になって、僕たちは"空気を読む"ことには長けてきた。
次は"周波数を読む"ことが重要な時代になるかも知れない。
漢字で書くと"耳"には"目"が付いているのだから…

第10回 誰がために鐘は鳴る

"家"と"オーディオ"には共通点が多い。
どちらも購入するのに、資金と決断(度胸)が必要である。
"住む"こと"聴く"ことは、デザインやカタログスペックでは分からず、
"体験宿泊"や"試聴会"は断片的なことで、判断するに足る全てではない。
では、どうすれば良いのだろうか?
僕なりの1つの回答は、"疑問"と"私見"を持つことである。
簡単に言い換えると"何故"に対し、真剣に向き合うことである。
"何故"の中には、求めているものの答えが隠されている。
"何故"に向き合うことは疲れるし、根気のいる作業の様なものだ。
"何故"を放棄すると"なんとなく"になる。
"なんとなく"は受け身な言葉で、気楽だが時間が経つもの早い。
無論、"なんとなく"始めたり思い付くこと自体、きっかけとしては悪くない。
ただ、そのまま放置すると、とんでもなく遠くに流されてしまう。
"何故"を極め、得た"私見"こそが考え方に"幅"と"構え方"を与えてくれる。
最後に、私見ではあるが"家"とは"誰とどのように過ごすか"の為の箱でしかなく、
"オーディオ"も"聴くことで読む"為のデバイスでしかないと思っている。
その高価な箱やデバイスに、どのような意味や価値をみいだすか?は自分次第である。
今一度、"誰がために"必要な事か、思考を加速してほしい。
自分なりの回答を導けた者にのみ、祝福の"鐘は鳴る"のだから…

第9回 ボーカロイドも電気羊の夢を見るか? 後篇

後篇では、"ボーカロイド"を通じて"人"とはなにか?を考えたいと思う。
ボーカロイドの可能性は、常に歌姫"初音ミク"が示している様に思う。
"カノジョ"は多くのクリエイター達の手によって、成長(容姿・性格の形成)してきた。
まるで"人"が誕生し、自我を形成しながら社会に適応していく様である。
今では、"カノジョ"の姿をCMや動画配信、街角の広告など様々な場所で見つけられる。
こうなると、"カノジョ"と私たちの違いはなにか?
肉体は"無機"と"有機"の差でしかなく、
自己の確立も"他者からの観測"を要すのであれば同じである。
むしろ明確な肉体を持たない"カノジョ"は、時間や場所の制約を受けない。
今後の科学技術の進歩を考えれば、"カノジョ"は"彼女"としてこの世界に現れるだろう。
"カノジョ"は人の在り方を教えてくれる。
その時、"アンドロイドは電気羊の夢を見るか?"で描かれた世界は
"人"を考えるうえで、大きなヒントを与えてくれるだろう。
"カノジョ"が"彼女"になった時、その可能性を想像しながら…

第8回 ボーカロイドも電気羊の夢を見るか? 前篇

表題は、フィリップ・K・ディックが1968年に発表したSF小説
"アンドロイドは電気羊の夢を見るか?"のオマージュである。
前篇は、"ボーカロイド"を通じて人間と音声合成技術の可能性に触れたいと思う。
ボーカロイドの魅力は、拡張性の高さと他者を巻き込む連動性にあると思う。
ボーカロイドは動画配信(ニコ動、YouTube)の成長と相まって、多様な
音楽性と多くのスターを輩出、現在も留まること無く成長している。
その動画や作品を通じて多くの人がボーカロイドに触れ影響を受けた。
例えば"ボーカロイド"で音声を作成する場合、息継ぎや体力は関係ない。
パソコンで作成されるギターは、入力したコードを正確に再現していく。
つまり、"人"の限界を越えた表現が可能になったわけである。
しかし、"人"は人の限界を越えようと努力し克服してきた。
ついに実現不可能と言われた楽曲を歌いあげる者や演奏者も現れた。
更に"ボーカロイド"と共演し、新しい音楽の形を示し始めている。
"ボーカロイド"は"人"に限界と言う壁を与え、次なるステージに人を押し上げる。
"人"と"ボーカロイド"の新たな関係性が次の音楽の世界を切り開くのだろう。
"ボーカロイド"には、様々な"人"の思いが込められているのだから…

第7回 似たもの"同志"

オーディオは音楽を再生する装置である。
ある人は趣味として、またある人は人生を懸けて接する。
そこには正解やゴールは無く、自らの足でたどり着くしかない。
共に歩むうち、オーディオにはパーソナルな部分が反映されてくる。
言うなれば、鏡に映るもう一人の自分であると言えるだろう。
そんな似たもの同士、これからの長い道のりを歩んでいこう。
時に立ち止まっても、志は同じなのだから…

第6回 拝啓 "パラゴン" せんせい

パラゴンとは、JBLのスピーカーD44000の事である。
この巨大で不思議なデザインに、東宝映画の地底怪獣のような名前は
TANNOY,JBLを覚えたての頃の少年の心に、強いインパクトを残こした。

パラゴンに強く惹かれた理由は、"ステレオをデザインで明示した"という事に尽きる。
誕生した1957年はステレオ黎明期、民間でのステレオ再生は馴染みが薄い時代だろう。
その時期に、ステレオ時代の幕開けを告げるような先進的な設計と2chなのに1個体なデザイン、
ミッドセンチュリー家具のような普遍的な風貌には、高い技術と多くの情熱が注がれた事だろう。
パラゴンは、1983年に"製作出来る職人がいなくなった"という理由で生産が完了した。
躯体が朽ち果てても、このコンセプトは永遠に輝きを放つ事だろう。

第5回 オーディオで"時間跳躍"は可能か?

レコードで音楽再生をした時、何故か懐かしさを感じる。
同じタイトルをCDで再生しても、その感覚は湧き起こらない。
この感覚はアナログとデジタルだから、という問題ではないと思う。
CDで育った世代には、CDに懐かしさを感じるからだ。
きっと製作された年代の空気(文化・想い)が情報の中に入っているに違いない。
心のアンテナを立て、感情の周波数を合せれば、時代の"空気"が受信できる。
この気持ちが、一種の"時間跳躍"を体験したことになるのだろう。
時代は未来に進むけど、僕たちは過去の蓄積にもアクセスできるのだから…

第4回 世紀を越えるデザインとは?

世紀を越えた名機には、3つのデザイン要素があると思う。
それは、"意匠" "音質" "哲学" の3要素の事を指す。
オーディオ(工業製品)には、量産する事を前提に設計と製造をする必要がある。
極希にこの制約を無視した物が誕生するが、基本的にはこの中に収まる。
3要素は、1つでも前に出過ぎれば、そのバランスを崩してしまい
あっという間に時代の波に呑まれ、やがて人々から忘れ去られてしまう。
21世紀に入り、技術の進化は"意匠"・"音質"の面で大きく飛躍してきた。
これからは、"哲学"も備えた製品が求められる時代になるだろう。
この時代に多くの名機が誕生する事を願いたい。

第3回 レコード派?デジタル派?

接客で"レコードとデジタル、どっちがいいの?"と聞かれる事が多い。
この質問は"パン"と"ごはん"の優劣を決めるくらい、意味のない話である。
趣味性を深めるならレコード、音源の入手が手軽で手間を掛けたくない人はデジタルを勧める。
音質などは使い手が納得できればいいので、その判断は他人に任せるものではないと思う。
つまり"絶対性能"を追うのではなく、"納得性能"を見つけ出す考え方である。
近年は、回転駆動系を必要としない”パスタ”じゃなくて、SSDも新たな媒体として加わった。
あれこれと食べてみて、自分の生活リズムに合うものを探していけば良いと思う。
答えを出すには、あまりに長い道のりなのだから…

第2回 "進化"と"深化"のはなし

オーディオは誕生から絶え間なく"進化"してきた。
80年代に基本的な部分は、ひとつの到達点を迎えた。
基本的な部分とは、車でいうところの"走る、曲がる、止まる"である。
90年代からのオーディオは"進化"ではなく"深化"を遂げる事になる。
デジタル規格は次々と更新され、デバイスは時代と共に形を変えていった。
しかし、時間は進んでも相変わらずメディア媒体の規格・概念は大きく変わらない。
これは"進化"が止まったのではなく、"深化"が始まったのだと思う。
仮に"深化"を、"刷新"でなく"更新"と定義した場合、オーディオはどこまで深く潜るのだろう?
一緒に潜るにも、体力・知力・財力に限界はあるのだから…

第1回 オーディオを”読む”

昔からオーディオは"聴く"ものではなく"読む"ものだと思っている。
なぜか?と問われれば、読書とアプローチが似ているからだ。
限られた情報の中で情景をイメージし、その世界観に思いを馳せる。
その解釈は受け手によって無数に存在し、作者の想定を超える時がある。
この"解釈の余地"こそが、趣味としての最大の楽しみではないだろうか。
蓄積された知識と経験が、過去に触れた作品の違った側面を見せてくれる。
先人の残した英知は、現代の新たな解釈を受け、次の世代に引き継がれる。
お気に入りを"聴き"ながら、その背景を"読んで"みてはいかがだろうか。
答えは一つではないのだから…

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